こういうのをリトマス試験紙って言うんでしょうね

田原総一朗氏がチベット問題でご自身の認識を書かれてるんですが、
チベット騒乱から北京五輪まで 日中ジャーナリストが徹底討論(nikkei BPnet)

1959年以降、3月10日には色々とデモは起きていた。このような騒乱になったのは今回が初めてだが、今回の騒乱は、少なくとも中国が狙ったものではない。鎮圧に失敗したという可能性はある。その辺りはよくわからない。

しかしとにかく日本の報道を見ると、「中国側に問題有り」という意見が強い。中には「福田康夫首相はまさかオリンピックに行かないだろうな」、「今の福田さんのやり方は中国に対する追従だ」などと書く新聞や雑誌も出てきた。これは偏向報道だと僕は思う。

「今回の騒乱は、少なくとも中国が狙ったものではない。鎮圧に失敗したという可能性はある。その辺りはよくわからない」とか、もう何を言っているのかよくわかりません。中国が仕掛けたかどうかなんていう話以前に、20人だろうが140人だろうが人が死んでる。チベットのみならずその周縁地域でも暴動がいまだに続いている、という事実は大々的に、しかも中国を非難する形で報じられるに値する。そして、その報道の大きさを嘆く前に、この暴動を生み出している背景を探るべきでしょう。
私も留学時代に中国から来た知り合いがいたのでわかりますが、彼らは客をもてなすのにとても丁寧です。パーティーや食事に人を招く、ということが彼らの見栄にもかかわっていて(だから中国人が「私が食事に招待する」といった場合、費用はすべて向こうが負担する)、実に何くれとなく世話をしてくれます。ニコニコとこちらの話を聞き、面白いジョークを飛ばしたりします。
で、こちらもすっかりいい気分になって中国の人々のファンになってしまう。人がいい日本の官僚や政治家、文化人や企業重役なんかは余計おだてに乗せられやすい。ですが、やっぱりこちらのビジネスは(政治家なら政治、ジャーナリストなら言論、学者なら学説)ビジネスとして、まったく別問題で考えないといけません。
日本の政治家や知識人の皆さんも中国と関わりがあって、いろいろと大変なんでしょうね。が、今回は国民の目があるのでご注意を。うっかり田原さんのような発言をすると、「あー、いろいろしがらみがあるんだろうなあ」とわかってしまいますよ。


ちなみに、フランスの小説「レ・ミゼラブル」に、バリケードを築いた学生たちの中に紛れ込む警察官(ジャベール)の描写がありますよね。チベットでも、暴徒の中に警官が紛れ込んで先導したとするなら、革命潰しのはなはだ古典的な手法といえそうです。

アフォーダンスは教師のマインドセットのための理論じゃないかなあ

こんな論文があるみたいなんですが、
教師が配置したアフォーダンスと児童が知覚したアフォーダンス : 知的障害養護学校の授業分析から

学校で児童達は,授業環境との相互作用の中で学習を進める。知的障害養護学校に在籍する児童の実態は多様である。教師が予測しない行為を児童が授業の中で示すことがある。この原因を児童に帰属させず,「授業への参加を促すためのアフォーダンスを教師が授業環境に適切に配置できなかった」という視点を我々は持つことにした。この視点から授業(全6回)を計画・実施し,分析した。結果,教師が配置したアフォーダンスと児童が知覚したアフォーダンスとはしばしば一致しないこと,各児童が知覚するアフォーダンスはそれぞれ異なる可能性が高いこと,それらの不一致は教師の工夫により小さくできることなどを確かめた。以上より,知的障害養護学校においてより良い授業づくりをするための一助として,アフォーダンスという理論的枠組みから検討する意義を認めた。(強調はatomon)

この論文を読んでないので、当たらない言葉を吐くかもしれませんが、たぶん教室に配置されている「アフォーダンス」で最大の効果を持つものは「教師そのもの」だと思うんですよね。椅子や机、ポスターや文具といったもの以上に、教師が教室の中で最大の「置き物」でしょう。私たちが子供の目線に立って考えてみれば、教師の物理的な存在感がどれぐらい大きかったか容易に思い出せますよね。
教育の中でアフォーダンス理論はとても重要なんだと思いますが、その対象は教室の中の小道具の物理的配置といった「教師の外」にあるというより、教師が持つべき心の枠組みじゃないかと。どういう服装をし、どういう髪型をし、どういう仕草をし、そして児童に何を「アフォード」するのか。教師自身が児童たちのあるべき姿を明確にイメージし、そちらに誘導するように振舞わなければあまり効果がないのではないかという気がします。
そういう意味でもアフォーダンス理論が成立するのなら、もっと日本の教育現場に取り入れてほしいですね。

Windowsの効果音で音楽

動画フレーム貼り付けのテストも兼ねて。

凄いなーと感心しつつも、なにかこう、ひやりとした感覚を心臓の辺りに感じるんですが……。


せっかくですので、全然脈絡のない動画リンクを少し貼ってみることにします。

戸川純が加入していたニューウェーブ系ユニット・ゲルニカの曲。
動画サイトはいろいろと問題になることが多いですけど、戸川純を聴くようになったのは動画サイトのおかげだったりします。
次は音楽ではありませんが(削除されておりません。開始から少しして映像が流れます)、

これ、チベットで暴動が起こる前にアップされたみたいなんですけど、今からしてみるとちょっと洒落になりませんねえ。

「腐った市場」という概念の試み

今さらですけど、こんなニュースがありましたね。
清水建、「マイカル大連」工事費訴訟で敗訴確定(NIKKEI NET)

【上海=川瀬憲司】中国遼寧省の大型商業施設、「マイカル大連商場」の工事費用の残金支払いなどを巡り中国で争われていた裁判で、清水建設の敗訴が確定したことが17日分かった。清水建は契約書などを根拠に支払いを求めたが認められず、逆に約20億円の支払いを命じられた。今後、日本のゼネコンの中国事業参加にも影響を及ぼす可能性もある。
 清水建は「契約も残高確認書も全く無意味という事態は経験がなく、どうにも理解し難い判決」(広報部)としている。
 判決は中国の最高裁にあたる最高人民法院が昨年12月26日に言い渡した。同法院は2004年12月29日に遼寧省高級人民法院が下した判決を全面的に支持。一審と同様、清水建に対し、工事費用の過払い分の払い戻しや欠陥工事の修理費用などに加え、二審の裁判費用全額の支払いを命じた。二審制をとる中国では清水建の敗訴が確定した。

どんな事情でこんな判決が出たのかわかりませんが、「賄賂が足りなかったんじゃ?」という感じです。
まあ冗談はおいておいても、日本のゼネコンが中国で建設事業を展開する気があるなら、もともとリスク覚悟だったんだよね?といいたいところではあります。というのも、中国は外国企業が国内工事を直接受注することを禁じていて、ゼネコンはだいたい現地企業と合弁会社を作ります。この時点でトラブル発生の確率は格段に上がっているし、裁判を起こしても待っているのは恣意的な法律運用です。
これは中国某省の課長さんから聞いた話ですが、今の中国の古株の裁判官には、退役した人民解放軍の軍人も多いそうですね。退役後の職業斡旋に困った中国共産党が、とりあえず裁判官にでもしておけ、という例もかなりあったとか。当然、最近は法曹教育に力を入れてだいぶ人材はましになってきているそうですが、それとて2000年代から始まった改革のようです。つまり、中国で商売相手ともめて法廷に行ったはいいけど、順法意識なんてはじめからないベテラン裁判官に出くわす可能性(ちょっと強烈な表現ですが、事実です)は少なくありません。
スーパーゼネコンの海外事業担当役員が「もう二度と中国なんか行かねえ。技術だけ盗みやがって」と怒ってましたが、それでも大成建設が中国事業を拡大するといってみたり、なんていうか懲りないものだなと思います。だいたい、北京五輪と上海万博が終わったらどう考えても建設需要は減るわけで、いまさら市場参入の拡大なんて遅いんじゃないか?という気がしますけどね。それにこの会社さんは、中国よりもアルジェリア道路工事の赤字の心配をしたほうがいいなあ。来年度の終わりぐらいじゃありませんか。


今の中国は、少なくとも部分的に「腐った市場」ではないか、というのが私の感想です。
ここでいう腐った市場というのは、確かに購買意欲があり賃金も上昇し、それなりに大きな市場規模に成長している。けれど、常識的なマーケットとして成立するためのコンプライアンス意識や予見可能性を欠いており、最低限度の安全なビジネスが展開できない。つまり、銭勘定では絶対進出したいけど、手を出してはいけない。「おいしそうだけど食べちゃだめ」なマーケットと定義したいと思います。あとあと、条件をもう少し厳密に考えたいですけど。
冒頭の清水建設のニュースでわかるように、中国にはビジネス上のトラブルを公平に解決できるセーフティがない。一見あるように見せかけているし、日常的にはごく普通にビジネスをできているように見えます。ですが、Youtubeを見る程度の自由も認めない一党独裁体制の下、いざとなると法規そのものすらどう変わるかわからない不安定さです。それに、いかなる国内の大企業であっても、共産党組織を内に抱えて究極的な独立性を保障されていない。
WTOに加盟したことで中国への直接投資は急増したわけですが、このプロセスは朱鎔基の奇才があって初めて成立しえたことなんじゃないかと思ったりします。倫理のりの字もないのに無理やり投資に煽り立てられてめっちゃくちゃな国内市場を、どうにか海外基準に合わせていこうなんていう努力はほかの凡人には無理なんじゃない?みたいな。
そもそも、今のチベット問題で北京五輪のスポンサーがイメージ低下に困っているように、中国の優れた市場を「腐った市場」にしている要因は、経済にまつわる法律や制度だけじゃないですしね。彼らも中国の成長性に賭けて北京五輪のスポンサーになったわけですけど、みごとに腹痛を起こしてしまった。これが深刻な食中毒になっても、残念ながら同情できませんが。


膨大な不良債権を持つとされる金融などのほかの要素を入れれば、いかに中国が腐った市場かはもっと明瞭になるのではないかと思います。ここで大切なのは、腐った市場は本来、市場としてとても価値が高いということです。ですが、その市場を腐らせている要素がある。逆に言えば、その腐らせている要素を除去すれば、クリーンな市場としてとても有益になる。
そんな風になってくれれば、日本にとってもどれほどすばらしいことだろうと思いますけどね。


そういえば、馬英九氏が圧勝した台湾総統選のひとつの焦点が中国経済との関係拡大だったそうですが、正直台湾はメインランド中国よりシンガポールやタイ、ベトナムといった東南アジア諸国との経済交流を強化したほうが、リスクヘッジが利いてよさそうな気がしますけどねえ。台湾の人々も一見優良そうな中国市場に幻惑されて、ということなんでしょうか?

ただのチベットに関する雑感です

チベットの話は、他国も実質的に中国共産党の横暴を止められないわけで、気がふさぐばかりです。
あれこれと報道がありますが、国際社会の世論を大きく変えるような決定的な内容なものはありません。やはり今回の図式は、宗教的・文化的アイデンティティーが失われていく問題に加え、中国領内にあふれかえった漢民族の移民に雇用が奪われ、さらに経済格差が生じていることに下地があるんだろうと思います。
途上国支援などに携わる日本の関係者たちは、この状況をどう思うのでしょうね。ある貧困地域が開発されたところで、こんな風に中央政府が都合よく搾取する思想を持っていたら民族紛争はなくならない。チベットのような条件下では、投資を行って民族の生活水準が底上げされても、結局中央政府が自民族優先の政策をとって地元民族の不満を誘発。紛争でむしろ社会不安と死者は増えるという仮説が成立するんじゃありませんか。
しかし、チベットの人々は、オーストラリアのアボリジニーアメリカの多くのネイティブアメリカンのように、メディアの追及もなく絶滅に追いやられないだけまだよいのかもしれません。白人たちが自分たちが犯した過去の他民族虐待・絶滅を悔いるでもなく、アジアの中国人が行っている「蛮行」を叩きに叩いている様子を見ると皮肉な気持ちに襲われます。
ですが、同じアジアにいる日本の政府高官やキヤノンなどがいち早く五輪ボイコットの可能性を全面否定し、間接的にチベットでの殺人・弾圧活動を支援している状況では、そうした報道でもありがたいと思うべきなのでしょう。


それから、今回は朝日新聞チベット批判を大々的に繰り広げてるそうですが、よくみると北京五輪のスポンサーではないんですよね。そのかわり、新聞媒体では読売新聞がスポンサーになっている。
おおかた、朝日のチベット報道の多さはこのあたりが動機じゃないでしょうか。この問題で身動きの取れない読売を追い落とす絶好のチャンス、そしてスポンサーを取られた意趣返しもできるわけです(両社がスポンサー競争をしたかどうかは単なる憶測ですが)。
私も新聞社に少しだけ勤めていましたが、あの辺なんてそんな程度の卑近な感情で動くもんですから。

チベット:直視すべきこと、そして思慮すべきこと

チベットの騒乱は甘粛省四川省に拡大するほか、暴動の中心地であるチベット地域での死傷者は増える一途のようですね。
掲示板で見つけたリンクですが、
Tibet massacre – a massive violation of human rights by China(IndiaDaily)
によると、衛星写真で見るとこの地域での死者は500人以上、負傷者は1万人以上にのぼるということです。
ただ、この記事には、何の衛星でどうやってこの報道機関がそのニュースを手に入れたのかの記述がなく、あくまで現時点での被害規模の最大限度を示しているソースとして、参考程度に見ておくべきかもしれません。

Satellite images show the clear atrocities carried out by the Chinese Military and police in Tibet. More than 500 Tibetan protestors are dead and more than 10,000 are injured.

China's official Xinhua News Agency claims only 10 people are dead. The protests by Buddhist monks in Tibet turned violent, with shops and vehicles set on fire and gunshots fired on the streets of the region's capital, Lhasa.

All eyes are on the Tibetan government in exile, based in the north Indian town of Dharmsala led by Dalai Lama.

China maintains rigid control over the area. Foreigners need special travel permits, and journalists are rarely granted access in the disputed area of Tibet except under highly controlled circumstances.

But China cannot deny satellite images and reports from underground news agencies.

中国共産党政府の説明に耳を傾ける必要はないとして、チベット亡命政府は死者を80人程度と見ているようですね。


あと、産経新聞福島香織記者のブログが、割と生々しい情報を伝えています。
【記者ブログ】情報統制を超えて漏れ聞こえるラサの悲鳴をきけ! MSN産経ニュース
このブログが興味深いのは、チベット地域での失業問題に触れていることです。
チベットに住む友人とのチャットログだそうですが、それなりにニュースバリューがあると思います。

福島「(暴動は)どんな風にはじまったの?」
彼女「14日、午前11時30分ごろ、ジョカン寺の近くにあるラムチ寺で僧侶がハンガーストライキをはじめた。これを軍(武装警察だろう)が阻止しようと、殴るけるなどの暴行のあげく発砲した。7、8人が死んだ。逮捕者もでた。これをきっかけに市民に怒りが広がり、暴力的な大規模デモが起きた。他の僧院も抗議のハンストに入った」
福島「ラムチ寺の僧侶は何人?」
彼女「70〜80人」(寺院の1割の僧侶が虐殺されたわけだ)
彼女「市民デモは北京中路あたりで軍と衝突。軍は発砲を繰り返し、銃創や圧死(おそらく軍用車両で)で、このエリアだけで死者は70〜80人は出ている。」
福島「市全体では何人くらい(の死者)?」
彼女「正確には分からないけれど100人以上。110から120人の間だと思う。(亡命政府の発表は80人の遺体が確認された、少女も含む。これから増える可能性も)」
(中略)
福島「僧侶は何を望んでいるの?独立?」
彼女「それだけではないわ。僧侶たちは政府に、漢族・回族移民政策をストップするように要求していた」「政府は300万人の漢族・回族をラサに移民させようとしている。僧侶たちは自分たちの子供たちをまもろうと、この政策に反対を申し立てていた。今でもチベットの大学新卒者は就職難で、チベット族の失業者は多い。そんなに大量の漢族、回族がくれば、チベットの子供たちは生きていけない
(中略)
■当局側が撮影したと思われる暴動映像をみれば、暴行を働いているのは、若いチベット族の若者だ。みなりはボロをまとい、ひょっとして失業中かもしれない。たとえ仕事をしていても、賃金は数倍の差がある。昨年7月のプレスツアーで、ラサの経済開発地域の取材をしたさい、建設現場で同じ仕事をしている漢族の出稼ぎ農民と、チベット族地元民の賃金は、かたや1日40元、かたや1日8元だった(強調はatomon)



かつて中国では天安門事件などがありましたが、多くの場合、政治的な理念だけで民衆が暴動を起こす例は極めてまれではないでしょうか。たしかに、民族自決、生き仏の管理・承認制といった文化的な陵辱も暴動の背景にはあるのでしょう。ですが、もう一段奥深くには、生活面での切実な危機感があったのではないでしょうか。
福島記者の記事には、さらに注目すべき点があります。チベットについては、かつてこんな報道もあったからです。
チベットの未来(インド・Frontline紙を山形浩生氏が翻訳)

ダライ・ラマの神聖政治期には、土地をはじめほとんどの生産手段は、三種類の地主に押さえられていた――役人、貴族、高位のラマ僧だ。かれらは人口のわずか五パーセントでしかない。チベット人の大半は農奴や奴隷であり、1951 年には百万人にのぼった。かれらは極貧にあげぎ、主人の領有する土地の付属物とされ、教育も保健も個人の自由も、一切の地位や権利もなかった。そして無給の労働(ウラグ)を強制され、すさまじい地代を搾り取られていた。
 農業は焼き畑式。近代産業はないも同然。交通輸送はもっぱら動物や人間の背。人生はおおむね悲惨で短く、病気が猖獗をきわめ、人口は停滞し、平均寿命は 36 歳。旧チベットでは、僧侶や尼が人口の一割を占めていた。この抑圧的な封建神権制の頂点にいたのが、ダライ・ラマという制度にして個人なのだった。
  1951 年以前のチベットには、まともな学校はなかった。千年前から続く、仏教経典学習と部分的にチベット語に特化した僧院学校が教育の主要形態だった。僧院の外には役人に対してごく基本的な教育――読み書き算数と仏典暗唱――を提供する学校はないわけではなかったが、その生徒数は千人以下。当然ながら、文盲率は九割以上だった。
 これほど劣悪な社会経済状況から出発すれば、発展が早いのも当然だろう。武装蜂起とダライ・ラマの逃亡で引き起こされた 1959 年の民主改革により、農奴制と地主至上主義は廃止され、社会主義制度が段階的にチベットに導入された。これも紆余曲折があり、導入をあまりに急がせようとする「極左」的な試みもあった――特に 1966-1977 年の文化大革命は、中国の他の部分と同様に、チベットにおいても人生、経済、教育、宗教、文化的伝統にとって大幅で嘆かわしい被害を与えてしまった
 多くのチベット人は 1961-1965 年を物質的生活の「黄金時代」として記憶しているが、チベットの生活と仕事を一変させたのは、1978 年以降の経済改革と開放政策、および政治面での最近の進展だ。中国のトップ指導者だちは、自国の「西部開発」のためにもっとずっと尽力できたはずだと公式に認めている。特にチベットにはもっと支援できたはずだ、と。この地域に開発主導政策を新たに適用しはじめたのは蠟小平だった。胡耀邦は 1980 年に重要なチベット視察を行い、チベット開発の優先度をさらに上げた。そして10年後に 江沢民が視察訪問を行っている。

この記事は、訳者の山形氏も述べているように中国共産党の見解の受け売りがとても多いです。
なぜ最初は中国への併合を呑んだにもかかわらず、のちにチベット独立運動を始めたのか、そしてダライ・ラマ14世が唱える「1国2制度」がなぜそこまで実現不可能なのか、この記事は説明していません。こういう部分は、読んでいてとてもストレスを感じます。
ですが、チベットがかつて封建制の元で貧困にあえでいたという事実。そして、現在(中国共産党の外部へのPR目的ではあるのでしょうが)鉄道の敷設や豊富な投資で現地経済が拡大している、という事実があるならば、チベットを論じるうえで必ず直視しなければならないと思います。
これまで喧伝されてきた、そして多くの欧米人やアーティストたちが信じているチベット人虐殺報道もまた、ダライ・ラマを中心とする政治的な集団から一方的に発されている情報です。そこに彼らなりの思惑がない、という保証は私にはできません。南京大虐殺と同様、歴史的な事実を確認・検証する前に決定的に信じるのには少々ためらいがあります。


ですから、チベット亡命政府中国共産党の表面的な主張をあまり真に受けず、違う視点で事件を探ってみたい。
このFrontline紙の経済的な認識をベースにしたうえで今回の騒乱を眺めると、非常に興味深いです。まず、経済発展が進んでいるというチベットで、現地人が深刻な失業にあえいでいるという声がある。実態はどうなっているのか。どちらが正しいのか。メディアはただ暴動の表面的な事象を追いかけるのではなく、現地で深く掘り下げるべきだと思います。もちろん、今は海外メディアのラサなどへの進入は禁止されているので、中期的な課題になりますが。
もうひとつ、かつての東欧のように、メディアや経済的発展が民衆に独立機運を運んでいるのではないか、という仮説が考えられます。だとすると、対外的な好印象度を上げるために行ってきた中国共産党チベット経済発展政策は、なんとも皮肉な結果を生んでいるとしか言いようがありません。


さらにもうひとつ。Frontlineの記事、および山形氏の認識には議論の余地がある部分があります。経済とは、どこまで人の精神的生活にとって本質的な部分であるのか、ということです。確かに、貧困・低寿命にあえぐ人々を救えるなら、中国共産党の併合を受け入れ続けたほうが「結果的には」良いかもしれない。
しかし、チベットの人々が強固な「輪廻転生」の信奉者だとしたら?私たち「現代人」が認識する現世での苦難は、彼らの認識と等しいものなのでしょうか。現世が苦しくても、仏を信じることで来世によりよく生きることができる。この信仰からすれば、経済的な豊かさも大事ではあるでしょうが、ダライ・ラマを中心とする信仰体系の重要さはそれを上回る可能性がある。
それは人々を前近代的な生活に縛り付ける精神的な鎖でしかない、と談じることは可能です。しかし、チベット人ではないわれわれが、私たちの「より進んだ」(自殺が増えたりカルト宗教が流行する程度の進歩性ですが)価値観を彼らに押し付けるにはとても慎重さが必要ではないでしょうか。そして、私たちから見れば旧弊としか表現できないかもしれないその価値観を尊重することも、……世界の価値観で何が古く何が新しいかは、簡単には見定められませんが……民族自決権の重要な考え方なのではないかと思います。
そして、その民族の価値観を尊重した上で、彼らの経済的な発展を可能な限り支えてあげるのが、おそらく国際社会での理想論ではないでしょうか。ゆえに、パンチェン・ラマとその家族を拉致し、虐殺の正確な人数は不明であるにしても、今回の騒乱の種をまくような施政を行ってきた中国共産党政府のやり方は、現状では論外としか言いようがありません。
とはいえ、現段階では理想論よりは現状の把握と対応がより重要でしょうね。中国共産党は自らのやっていることに大義があると信じるなら、可能な限り情報をオープンにし、国際社会の調査を受けるべきだと思います。

音楽業界最大の失策?

音楽業界の過去最大の失策は「ネット戦略」ITmedia News)

だが米音楽誌Blenderが先日発表した「音楽業界史上最大の失策トップ20」のリストでトップの座に輝いたのは、このディック・ロウ氏の10億ドル規模の判断ミスではなく、「レコード会社がインターネットを十分に活用できなかったこと」だった。

 大手レコード会社はファイル交換サービスNapsterの数千万人のユーザーから利益を上げる方法を考え出す代わりに、2001年に同社を廃業に追い込んだことに対し、最高に不名誉な評価を受けた。Napsterを廃業させても、結局ダウンロードユーザーはほかの数百ものサイトに散らばっただけで、音楽業界はそれ以来、厳しい不景気に見舞われている。

 「インターネットで無料で楽曲を入手させないためのレコード会社の取り組みは、ハリケーンにコルクでふたをしようとするようなものだ。P2Pネットワークでは毎月10億曲以上の楽曲ファイルが交換されている」とBlender誌はリポートで指摘している。このリポートは最新号となる4月号に掲載されている。

このBlender「最悪な作詞家ランキング」(1位はスティング!)とかを発表してとにかく話題性狙いなイメージがあるんだけど、こういう声がアメリカで上がっていることを日本の大手メディアも伝えてくれるといいんですけどね。
著作権についても、海外ではクリエイティブ・コモンズを中心にもっと闊達に議論されているのに、日本でほとんど報じられることがない。CDの売れ行きが減ったとかWinnyプログラマーが逮捕されたとか、そんな話ばかりで。私もついこの前まで報道媒体の末席にいたので偉そうなことはいえませんが、日本のメディア人には海外からの情報をさえぎりたい精神作用でもあるのでしょうか。
ところで、この前レディオヘッドが価格を自由に選べる形式で新アルバムを配信したところ、無料でダウンロードする人が全体の6割に上ったそうですが(ITmedia News)、気になることは2つありますね。1つは利益率。ネット配信なら当然CDの生産費用や搬送費用がかかってないわけで、レディオヘッドのこれまでのアルバムと比べて粗利益率はどう推移したのか。売り上げ額よりはそっちが気になります。
それからレディオヘッドの次のアルバムのセールスです。もちろんアルバムのクオリティ次第な面も大きいでしょうが、このネット配信で知名度が向上し、売れ行きに変化が生じるのか。「P2Pなどでのコンテンツ流通は作品のPRになっている」というCopyleftな人たちの主張に対して、何か材料を提供してくれるのかどうか注目したいところです。