ただのチベットに関する雑感です

チベットの話は、他国も実質的に中国共産党の横暴を止められないわけで、気がふさぐばかりです。
あれこれと報道がありますが、国際社会の世論を大きく変えるような決定的な内容なものはありません。やはり今回の図式は、宗教的・文化的アイデンティティーが失われていく問題に加え、中国領内にあふれかえった漢民族の移民に雇用が奪われ、さらに経済格差が生じていることに下地があるんだろうと思います。
途上国支援などに携わる日本の関係者たちは、この状況をどう思うのでしょうね。ある貧困地域が開発されたところで、こんな風に中央政府が都合よく搾取する思想を持っていたら民族紛争はなくならない。チベットのような条件下では、投資を行って民族の生活水準が底上げされても、結局中央政府が自民族優先の政策をとって地元民族の不満を誘発。紛争でむしろ社会不安と死者は増えるという仮説が成立するんじゃありませんか。
しかし、チベットの人々は、オーストラリアのアボリジニーアメリカの多くのネイティブアメリカンのように、メディアの追及もなく絶滅に追いやられないだけまだよいのかもしれません。白人たちが自分たちが犯した過去の他民族虐待・絶滅を悔いるでもなく、アジアの中国人が行っている「蛮行」を叩きに叩いている様子を見ると皮肉な気持ちに襲われます。
ですが、同じアジアにいる日本の政府高官やキヤノンなどがいち早く五輪ボイコットの可能性を全面否定し、間接的にチベットでの殺人・弾圧活動を支援している状況では、そうした報道でもありがたいと思うべきなのでしょう。


それから、今回は朝日新聞チベット批判を大々的に繰り広げてるそうですが、よくみると北京五輪のスポンサーではないんですよね。そのかわり、新聞媒体では読売新聞がスポンサーになっている。
おおかた、朝日のチベット報道の多さはこのあたりが動機じゃないでしょうか。この問題で身動きの取れない読売を追い落とす絶好のチャンス、そしてスポンサーを取られた意趣返しもできるわけです(両社がスポンサー競争をしたかどうかは単なる憶測ですが)。
私も新聞社に少しだけ勤めていましたが、あの辺なんてそんな程度の卑近な感情で動くもんですから。