チベット:直視すべきこと、そして思慮すべきこと

チベットの騒乱は甘粛省四川省に拡大するほか、暴動の中心地であるチベット地域での死傷者は増える一途のようですね。
掲示板で見つけたリンクですが、
Tibet massacre – a massive violation of human rights by China(IndiaDaily)
によると、衛星写真で見るとこの地域での死者は500人以上、負傷者は1万人以上にのぼるということです。
ただ、この記事には、何の衛星でどうやってこの報道機関がそのニュースを手に入れたのかの記述がなく、あくまで現時点での被害規模の最大限度を示しているソースとして、参考程度に見ておくべきかもしれません。

Satellite images show the clear atrocities carried out by the Chinese Military and police in Tibet. More than 500 Tibetan protestors are dead and more than 10,000 are injured.

China's official Xinhua News Agency claims only 10 people are dead. The protests by Buddhist monks in Tibet turned violent, with shops and vehicles set on fire and gunshots fired on the streets of the region's capital, Lhasa.

All eyes are on the Tibetan government in exile, based in the north Indian town of Dharmsala led by Dalai Lama.

China maintains rigid control over the area. Foreigners need special travel permits, and journalists are rarely granted access in the disputed area of Tibet except under highly controlled circumstances.

But China cannot deny satellite images and reports from underground news agencies.

中国共産党政府の説明に耳を傾ける必要はないとして、チベット亡命政府は死者を80人程度と見ているようですね。


あと、産経新聞福島香織記者のブログが、割と生々しい情報を伝えています。
【記者ブログ】情報統制を超えて漏れ聞こえるラサの悲鳴をきけ! MSN産経ニュース
このブログが興味深いのは、チベット地域での失業問題に触れていることです。
チベットに住む友人とのチャットログだそうですが、それなりにニュースバリューがあると思います。

福島「(暴動は)どんな風にはじまったの?」
彼女「14日、午前11時30分ごろ、ジョカン寺の近くにあるラムチ寺で僧侶がハンガーストライキをはじめた。これを軍(武装警察だろう)が阻止しようと、殴るけるなどの暴行のあげく発砲した。7、8人が死んだ。逮捕者もでた。これをきっかけに市民に怒りが広がり、暴力的な大規模デモが起きた。他の僧院も抗議のハンストに入った」
福島「ラムチ寺の僧侶は何人?」
彼女「70〜80人」(寺院の1割の僧侶が虐殺されたわけだ)
彼女「市民デモは北京中路あたりで軍と衝突。軍は発砲を繰り返し、銃創や圧死(おそらく軍用車両で)で、このエリアだけで死者は70〜80人は出ている。」
福島「市全体では何人くらい(の死者)?」
彼女「正確には分からないけれど100人以上。110から120人の間だと思う。(亡命政府の発表は80人の遺体が確認された、少女も含む。これから増える可能性も)」
(中略)
福島「僧侶は何を望んでいるの?独立?」
彼女「それだけではないわ。僧侶たちは政府に、漢族・回族移民政策をストップするように要求していた」「政府は300万人の漢族・回族をラサに移民させようとしている。僧侶たちは自分たちの子供たちをまもろうと、この政策に反対を申し立てていた。今でもチベットの大学新卒者は就職難で、チベット族の失業者は多い。そんなに大量の漢族、回族がくれば、チベットの子供たちは生きていけない
(中略)
■当局側が撮影したと思われる暴動映像をみれば、暴行を働いているのは、若いチベット族の若者だ。みなりはボロをまとい、ひょっとして失業中かもしれない。たとえ仕事をしていても、賃金は数倍の差がある。昨年7月のプレスツアーで、ラサの経済開発地域の取材をしたさい、建設現場で同じ仕事をしている漢族の出稼ぎ農民と、チベット族地元民の賃金は、かたや1日40元、かたや1日8元だった(強調はatomon)



かつて中国では天安門事件などがありましたが、多くの場合、政治的な理念だけで民衆が暴動を起こす例は極めてまれではないでしょうか。たしかに、民族自決、生き仏の管理・承認制といった文化的な陵辱も暴動の背景にはあるのでしょう。ですが、もう一段奥深くには、生活面での切実な危機感があったのではないでしょうか。
福島記者の記事には、さらに注目すべき点があります。チベットについては、かつてこんな報道もあったからです。
チベットの未来(インド・Frontline紙を山形浩生氏が翻訳)

ダライ・ラマの神聖政治期には、土地をはじめほとんどの生産手段は、三種類の地主に押さえられていた――役人、貴族、高位のラマ僧だ。かれらは人口のわずか五パーセントでしかない。チベット人の大半は農奴や奴隷であり、1951 年には百万人にのぼった。かれらは極貧にあげぎ、主人の領有する土地の付属物とされ、教育も保健も個人の自由も、一切の地位や権利もなかった。そして無給の労働(ウラグ)を強制され、すさまじい地代を搾り取られていた。
 農業は焼き畑式。近代産業はないも同然。交通輸送はもっぱら動物や人間の背。人生はおおむね悲惨で短く、病気が猖獗をきわめ、人口は停滞し、平均寿命は 36 歳。旧チベットでは、僧侶や尼が人口の一割を占めていた。この抑圧的な封建神権制の頂点にいたのが、ダライ・ラマという制度にして個人なのだった。
  1951 年以前のチベットには、まともな学校はなかった。千年前から続く、仏教経典学習と部分的にチベット語に特化した僧院学校が教育の主要形態だった。僧院の外には役人に対してごく基本的な教育――読み書き算数と仏典暗唱――を提供する学校はないわけではなかったが、その生徒数は千人以下。当然ながら、文盲率は九割以上だった。
 これほど劣悪な社会経済状況から出発すれば、発展が早いのも当然だろう。武装蜂起とダライ・ラマの逃亡で引き起こされた 1959 年の民主改革により、農奴制と地主至上主義は廃止され、社会主義制度が段階的にチベットに導入された。これも紆余曲折があり、導入をあまりに急がせようとする「極左」的な試みもあった――特に 1966-1977 年の文化大革命は、中国の他の部分と同様に、チベットにおいても人生、経済、教育、宗教、文化的伝統にとって大幅で嘆かわしい被害を与えてしまった
 多くのチベット人は 1961-1965 年を物質的生活の「黄金時代」として記憶しているが、チベットの生活と仕事を一変させたのは、1978 年以降の経済改革と開放政策、および政治面での最近の進展だ。中国のトップ指導者だちは、自国の「西部開発」のためにもっとずっと尽力できたはずだと公式に認めている。特にチベットにはもっと支援できたはずだ、と。この地域に開発主導政策を新たに適用しはじめたのは蠟小平だった。胡耀邦は 1980 年に重要なチベット視察を行い、チベット開発の優先度をさらに上げた。そして10年後に 江沢民が視察訪問を行っている。

この記事は、訳者の山形氏も述べているように中国共産党の見解の受け売りがとても多いです。
なぜ最初は中国への併合を呑んだにもかかわらず、のちにチベット独立運動を始めたのか、そしてダライ・ラマ14世が唱える「1国2制度」がなぜそこまで実現不可能なのか、この記事は説明していません。こういう部分は、読んでいてとてもストレスを感じます。
ですが、チベットがかつて封建制の元で貧困にあえでいたという事実。そして、現在(中国共産党の外部へのPR目的ではあるのでしょうが)鉄道の敷設や豊富な投資で現地経済が拡大している、という事実があるならば、チベットを論じるうえで必ず直視しなければならないと思います。
これまで喧伝されてきた、そして多くの欧米人やアーティストたちが信じているチベット人虐殺報道もまた、ダライ・ラマを中心とする政治的な集団から一方的に発されている情報です。そこに彼らなりの思惑がない、という保証は私にはできません。南京大虐殺と同様、歴史的な事実を確認・検証する前に決定的に信じるのには少々ためらいがあります。


ですから、チベット亡命政府中国共産党の表面的な主張をあまり真に受けず、違う視点で事件を探ってみたい。
このFrontline紙の経済的な認識をベースにしたうえで今回の騒乱を眺めると、非常に興味深いです。まず、経済発展が進んでいるというチベットで、現地人が深刻な失業にあえいでいるという声がある。実態はどうなっているのか。どちらが正しいのか。メディアはただ暴動の表面的な事象を追いかけるのではなく、現地で深く掘り下げるべきだと思います。もちろん、今は海外メディアのラサなどへの進入は禁止されているので、中期的な課題になりますが。
もうひとつ、かつての東欧のように、メディアや経済的発展が民衆に独立機運を運んでいるのではないか、という仮説が考えられます。だとすると、対外的な好印象度を上げるために行ってきた中国共産党チベット経済発展政策は、なんとも皮肉な結果を生んでいるとしか言いようがありません。


さらにもうひとつ。Frontlineの記事、および山形氏の認識には議論の余地がある部分があります。経済とは、どこまで人の精神的生活にとって本質的な部分であるのか、ということです。確かに、貧困・低寿命にあえぐ人々を救えるなら、中国共産党の併合を受け入れ続けたほうが「結果的には」良いかもしれない。
しかし、チベットの人々が強固な「輪廻転生」の信奉者だとしたら?私たち「現代人」が認識する現世での苦難は、彼らの認識と等しいものなのでしょうか。現世が苦しくても、仏を信じることで来世によりよく生きることができる。この信仰からすれば、経済的な豊かさも大事ではあるでしょうが、ダライ・ラマを中心とする信仰体系の重要さはそれを上回る可能性がある。
それは人々を前近代的な生活に縛り付ける精神的な鎖でしかない、と談じることは可能です。しかし、チベット人ではないわれわれが、私たちの「より進んだ」(自殺が増えたりカルト宗教が流行する程度の進歩性ですが)価値観を彼らに押し付けるにはとても慎重さが必要ではないでしょうか。そして、私たちから見れば旧弊としか表現できないかもしれないその価値観を尊重することも、……世界の価値観で何が古く何が新しいかは、簡単には見定められませんが……民族自決権の重要な考え方なのではないかと思います。
そして、その民族の価値観を尊重した上で、彼らの経済的な発展を可能な限り支えてあげるのが、おそらく国際社会での理想論ではないでしょうか。ゆえに、パンチェン・ラマとその家族を拉致し、虐殺の正確な人数は不明であるにしても、今回の騒乱の種をまくような施政を行ってきた中国共産党政府のやり方は、現状では論外としか言いようがありません。
とはいえ、現段階では理想論よりは現状の把握と対応がより重要でしょうね。中国共産党は自らのやっていることに大義があると信じるなら、可能な限り情報をオープンにし、国際社会の調査を受けるべきだと思います。