メモ

現在ネット上で発生している様々な「社会」って、現実での人間のコミュニケーションのあり方が極度に捨象された姿だとも言えるんじゃないだろうか。
メールから掲示板、ブログやSNSとネットでの交流フォーマットやプラットフォームの方向性などは、現実社会での諸相を参照して作り出されてきた。けど、一方でそういうインフラを利用してネット上で発生している人と人のあり方には、逆に現実にフィードバックできる様相があるのかもしれない。


もしそうなら、ネット上での人の存在にはひとつの大きな原理がある。「言挙げなくして存在がない」点だ。
まず「私が誰か、どんな人間か」と、プロフィールや何かの事柄に対する自分の意見をネット上に書き込む。そうしてSNSなり掲示板なりのコミュニティにいる読み手たちに「与え」なければネット上の社会に自分は誕生せず、存在もできない。ネットには現実社会での身体がなく、データしかないんだから当然だ。
そしてこの点は、現実社会にもフィードバックできるのかもしれないと漠然と思った。人はどのようにして社会に存在しているのか。現実ではむしろ身体や現物の圧倒的な存在感に依存し、自らの能動的な行動や価値観が自らを中心としたネットワークを作っていく点を軽視しているかもしれないこと。それだけではなく、人そのものはどの方向性で存在を始めるのか、ということ。


あくまで、検証を要する今時点での思いつきということで。


上記と無関係なメモ:
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