あなたの笑顔に葛藤はないのですか?

萩本欽一さんのインタビュー動画・ノーカット版(環境によってはものすごく重いかも)
この会見動画で萩本さんは「走っている最中に自分から笑顔がなくなってしまった」と語っていますが、なるほど、笑顔でいることすらもできなかったわけですね。
「笑顔でいるべきときは、いかなる状況でも笑顔であるべきだ」と最初に萩本さんがお考えだったとすれば、それはもうひとつの信条と言うか、思想だったと思うんです。中国だチベットだと物騒な今だからこそ、平和の象徴である聖火を高く掲げ、にこやかに走り去る。それは立派なお考えだったと思います。
けれど、彼は果たせなかった。その胸中にどんな思いがあるのか私には忖度できませんが、少々中途半端というか、不徹底だったかもしれません。萩本さんが平和や「笑顔でハイタッチ」とかひょうきんにしゃべってるそのそばで、……巨視的に考えれば……死体が積み上げられている。チベットの人間も、中国共産党の人間も、命を懸けて争っている。それでも、平和の祭典の象徴を預かる走者として笑顔を浮かべて走る。聖火ランナーを辞退することもなく、それなりに歳をとっている彼が選んだ道は、そこにあるはずでした。けれど、残念ながら歳相応の想像力と熟慮が足りなかったようです。
まあ萩本さんは、利己的な動機から選択したことを国のせいにした星野仙一さんよりははるかにましです。あるベテランスポーツ記者が「スポーツ選手で社会人として通用する常識人は、星野仙一とサッカーのカズぐらいだ」と語っていましたが、私はもともと彼のことをあまり好きになれません。中日から阪神に行った際の経緯で決定的になって、私は当時阪神ファンでありながら、星野フィーバーにあまり感情移入できませんでした。というか、星野氏がフィーチャーされてきた頃合から野球自体を見なくなっていったのですが。
ともあれ、萩本氏も星野氏も、会見では現状に対して「心を痛めています」という言葉すらなかった。星野さんに至っては、金かコネか知りませんが、そんなものを後生大事にして現実に目をつぶり、耳を塞いでいた。こんな人々がこのセレモニーで日本を代表しただなんて、日本人の見識を問われそうでこちらの気が塞ぎます。


さて今日は、日本の沿道で赤い中国旗が一斉に打ち振られる映像がテレビで流れたわけですが、これに対する日本国民の感情はどのようなものなんでしょうか。理屈で考えると、以前の上海などでの反日デモのような嫌悪感を国民に持たせても不思議ではない気がします。
そもそも世界を巡る聖火リレーなんてやる必要が全くなかった(このリレーは前回のアテネ五輪から始まったというか、アテネではオリンピック発祥の地として特例的に行われただけですし)、という事実を知らないまま人々が今日の映像を見たとしても、おそらく巨大な不快感が残りますよね。五輪は中国だけが出るイベントじゃない。中国はむしろホストであるに過ぎず、ゲストは世界の人々です。そうした「五輪精神」もへったくれもなく、自分たちのナショナリズムだけを前面に押し出すその姿は見ていて楽しいものではありません。
そして、今日映像でとらえられた中国の人々の姿は、どこか数年前の上海や北京での反日デモの記憶と重なるものがあると思うのです。もっとも当時の反日デモよりもはるかに紳士的で、テレビ映像もかなりの部分闖入者にフォーカスされてましたけれど。
正直なところ、日本人の多くはチベットウイグルの問題に軽い同情心こそあれ、それほど関心があるわけではない。けれど、今日の赤い旗と喧騒を見て、過去の不快なデモの記憶が人々の心裡に蘇る可能性もありえた。まあ、実際そういう作用を人々に及ぼしているかどうか私にはわかりませんし、これで日本人がまた中国人に根深い不信感を持つようになったとしても、それは単純に中国共産党の自業自得でしかないわけですけれど。


あと素朴な感想ですが、今回の組織化された在日中国人の動きを公安の人たちはちゃんとトレースしてるんですよね?大使館や全日本中国留学生学友会などの民間団体から学生や一般社会にまぎれた中国人へと「指令」が伝播していく過程を明らかにできる、なかなか良いケーススタディになったと思うのですが。今回の長野での聖火リレーで在日中国人たちが示してくれた事実は、ガス田がきっかけか台湾がきっかけかわかりませんが、日本にいる中国人たちはこんな形で迅速に集合し、組織だった行動を起こせるってことですよね。