アフォーダンスは教師のマインドセットのための理論じゃないかなあ

こんな論文があるみたいなんですが、
教師が配置したアフォーダンスと児童が知覚したアフォーダンス : 知的障害養護学校の授業分析から

学校で児童達は,授業環境との相互作用の中で学習を進める。知的障害養護学校に在籍する児童の実態は多様である。教師が予測しない行為を児童が授業の中で示すことがある。この原因を児童に帰属させず,「授業への参加を促すためのアフォーダンスを教師が授業環境に適切に配置できなかった」という視点を我々は持つことにした。この視点から授業(全6回)を計画・実施し,分析した。結果,教師が配置したアフォーダンスと児童が知覚したアフォーダンスとはしばしば一致しないこと,各児童が知覚するアフォーダンスはそれぞれ異なる可能性が高いこと,それらの不一致は教師の工夫により小さくできることなどを確かめた。以上より,知的障害養護学校においてより良い授業づくりをするための一助として,アフォーダンスという理論的枠組みから検討する意義を認めた。(強調はatomon)

この論文を読んでないので、当たらない言葉を吐くかもしれませんが、たぶん教室に配置されている「アフォーダンス」で最大の効果を持つものは「教師そのもの」だと思うんですよね。椅子や机、ポスターや文具といったもの以上に、教師が教室の中で最大の「置き物」でしょう。私たちが子供の目線に立って考えてみれば、教師の物理的な存在感がどれぐらい大きかったか容易に思い出せますよね。
教育の中でアフォーダンス理論はとても重要なんだと思いますが、その対象は教室の中の小道具の物理的配置といった「教師の外」にあるというより、教師が持つべき心の枠組みじゃないかと。どういう服装をし、どういう髪型をし、どういう仕草をし、そして児童に何を「アフォード」するのか。教師自身が児童たちのあるべき姿を明確にイメージし、そちらに誘導するように振舞わなければあまり効果がないのではないかという気がします。
そういう意味でもアフォーダンス理論が成立するのなら、もっと日本の教育現場に取り入れてほしいですね。