市場と国家

市場は万物を商品化するのか?
Does the Market Commodify Everything? (Wood, T., Mises Institute)

It is the state, then, and not the market, that "regards everything that surrounds [it] as merchandise … as an object to be used." Precisely because it acts outside of the market, the state can devise arbitrary prices for its services, make those prices vary across different classes of people, and then threaten physical force against anyone refusing to pay them. Who in civil society is allowed to behave like that?

このエッセイは、「市場が人間も含め、何でも商品としてみなすよう人々を仕向けてるよね」という批判に対する反論。
論者いわく、市場ではお互いの意見にのっとって合意しなければ価格は決定されない。一方国家はそんなのお構いナシで、たとえば軍隊への徴収、あるいは民間財産の没収などを「市場の外で」恣意的な対価の払い方で行う。むしろ人間を「物」とみなしているのは国家じゃないの?というご意見だ。

私は社会学も経済学もよく知らないのでうまい表現は出来ないかもしれないけれど、少しこの人の論調を疑問に思う。
特に、下の部分。

Market prices serve an important function, apart from making possible both economic calculation and the indefinite extension of the division of labor. Market prices imply ownership, which in turn implies the right of disposal over the thing owned. If I don't meet your price, you need not perform your labor service for me. If I don't meet your price, you need not relinquish your property to me. They remind us that social cooperation must involve genuine cooperation, which means that no one side of a transaction has the right to cheat or steal from the other. That is the morality of the thug. Instead, they must reach terms that are mutually satisfactory in order for a transaction to take place.

つまり、市場での価格決定は所有権に基づいたもので、所有権者の了解が無ければ価格は決定されない、と言ってる。
でもマルクス以来の「疎外」ってのはまさしく、経済がこういう相対での心温まるコミュニケーションではなく、資本主義の冷徹なメカニズム自体が人間を振り回すようになった状況を批判してるんじゃなかったんですか。
ホリエモンなんて周りの全てを自分の利用すべきもの、つまり商品としてとらえていた最たる人物だよね。彼にとっては、M&Aなんて手順を踏めば自動的にグループの時価総額が上がっていく、ある種のゲームとしてしか捕らえていなかった。会社で働く人間も、その業務内容も、それ程の興味を持っていなかった。つまり、買収した会社自体を商品(Commodity)としてしか捕らえていなかった。でもこれって立派な市場経済の寵児じゃないんでしょうか。


このエッセイの最後に出てるこの人の著書をみると、 The Church and the Market: A Catholic Defense of the Free Economy. などがあって、たぶん市場経済と倫理を長く研究している人なんだろうと思う。そして、この人のこの文章の背後には、市場経済に倫理的な批判を持ち込む姿勢に対する反発があるような気がする。


……確かにそのあたりは難しい問題で、WTOでも必ず問題になる(今は農業補助金なんていう政治的な問題ごときで座礁しているけれど)。ドンドン進展するグローバル経済の活性化と、国家を基礎とした伝統的な人間の暮らし。これは現状ではトレードオフにも近い関係になっていて、この観点からすれば農業補助金の問題だって欧州なんかの伝統的な農民層の生活(ひいては政治にとって伝統的な圧力団体でもある)に関わっている話だ。
また、GMO(遺伝子組み換え生物)なんかの生命倫理とビジネスとか、おそらくこの著者の頭の中にはいろいろな問題が渦巻いているのだろう。ただ、ちょっと弁護の仕方に一ひねりがあったほうがよかった気がするけど。