ファッション左翼

最近流行のネタはこれが起源だったんですか。

アサヒドットコム「メンズウェアの胸元 ワンポイントおしゃれに復活」

それにしても、マークやエンブレムは本来、軍隊や国家、学校や会社など、何かに帰属することを表す。今、若い女性には「愛されOL」系のモデル、エビちゃん蛯原友里)が人気だが、これからは男性にとっての理想像も「さわやか正社員」系になるのかもしれない。そういえば、自らの国家や民族に固執する右翼系の若者が世界的に増えているという事実も、多少気になるところだが。

森昭雄教授はゲーム脳とか言う以前に、「左翼脳」に警鐘を鳴らしたほうがいいんじゃないすか。


それにしても、日本の左翼文化人のお手軽さには幻滅する。
国家や民族なしで個人が成り立つと思ってる哲学の浅さに驚くし、国家や民族云々を大事にすることと、それを口実に他者を排撃することの区別がついてない点にも閉口する。


はっきり言おう。
国や民族に固執するのは実は、よくない。ましてそれを他者への優越の根拠とし、排撃の材料にする右翼的な勢力や人間は、実に視野狭窄で近視眼的だ。
というのは、人は国や民族、文化とは関係のない「人」としての尊厳dignityを持つからだ。生まれてくる赤ん坊に国は選べない。たまたま生れ落ちた場所がその国だというだけであり、生命としての尊さに国境など関係あるはずがない。
中国人だろうが韓国人だろうが、人は人だ。それだけで尊ぶべきだし、まして戦争など起こして命を奪ってはいけない。


けれど、それは国や民族、文化といった要素がどれだけ赤ん坊以後の子供〜大人の人格形成に深くかかわるかを直視した上で初めて口にできる考えだ。
人間の一生がどれだけ深く環境のしがらみに取り込まれているかを認識してもなお、「人は人だ」と言い切れることこそ大切なのだ。なのに、日本の左翼系文化人はそんな大切さを軽々と見過ごして理想論ばかり振りかざすから、最近の日本人の精神的な不安定さや空虚感に対してまるで対応できない。
靖国問題の国内での沸き上がりだって、これはある意味で必然だ。一部の極端な若者たちがオウム真理教を必要としたように、日本人の大部分も精神のよりどころを求めている。それだけの話だ。


わかりづらいかもしれないが、人の知性や悟性は相対的な価値観や基準から出来上がっている。国や民族といった要素は、そこに必ず組み込まれる。それが絶対的な方法論であり、左翼系の文化人がいくら願っても解除することはできない。彼らが自分の故郷や出身校(朝日なら東大とか)に誇りを持たないのがあり得ないように。
それは悪だ。いや、悪いものじゃないけど凡人であればあるほどそれしか目に入らなくなるし、そうなれば歓迎できることじゃない。けど、人の考え方の初期的なフォーマットがそうした相対的な基準からしか出来上がってないのだ。人は、生まれてから死ぬまで、基本的には盲目であり続ける。
それを認識した上で、初めて相対的ではない絶対的な価値観(国境にとらわれない生命の尊厳とか)を「夢想」することができる。


こうして考えると、愛国心が話題になる現状は決して安易に否定はできないし、かといってすべて肯定もできなくなるだろう。けれど、メディアでしたり顔でしゃべる文化人を見ているとこの程度のことさえ考えているように見えず、少々残念になる。