墓参り

昨日、仕事があまり忙しくなかったので日暮里は善性寺にある石橋湛山氏の墓へ足を運んでみた。
石橋湛山氏、というのはこんな人。私にとっては、ひたすら正確な言論を吐く人、数少ない尊敬すべきジャーナリストであり、私の人生そのものも大きな影響を受けたと思っている。


寺はJR日暮里駅から歩いて5分ほどのところにあり、境内に入ると氏の墓はすぐに見つかった。洋式の横長の墓石だったが、日蓮宗の墓地の中でさほどの違和感はなかった。穏やかな晩夏の日差しを浴びながらそこにたたずみ、少しするとお寺を出て駅前の中華料理屋で定食を食べた。


自分の仕事へのモチベーションについて、少し迷っていることがあった。それをどうにかしたいと思って、お墓を訪れた。ちょっと神頼みっぽいといわれれば、否定できない。


お寺に行って少しすっきりしたような気もするけれど、今日初めて目を通した「湛山座談」(岩波同時代ライブラリー)で「中国は10数年で日本を追い越すね(これは70年代の記録)」とか、「ソ連は大人の国家」とか言ってるのを目にして、石橋氏に軽く失望してしまった。
戦前や戦後間もない日本経済についてはあれだけ論理を積み重ね隠すところない口調で語る石橋氏が、中国やソ連については印象論で「あの国は謙虚ですばらしい」とか語る。そして、日米中ソの不可侵条約を結ぼうと画策する。


この人は晩年呆けたのだろうか。もしくはその呆けは、「権力呆け・接待呆け」という名前ではないのか。いや、経済記者としての石橋氏と、戦後政治の中の石橋氏はほとんど別人なのかもしれない。「政治家になって、理論だけではどうにもならんということを知った」とか言ってるし。
石橋氏は「資本主義と共産主義はいずれひとつになる」と語っている。これとて、歴史家トインビーが70年代に語った「共産主義には魂の救済がない。いずれだめになるだろう」(これは90年代に入り、正論だったと明かされたと思う)という見解をとる私には、簡単にうなずける話ではない。
石橋氏は民主主義を疑い、資本主義を「本当にベストの体制か」と懐疑する。しかし、そもそも戦後日本自体が純粋な民主主義でも資本主義でもない。「世界で最も成功した社会主義国家」と揶揄されるほど、後進国型の官僚統制経済国家だった。こんなことは、蔵相・首相まで勤め、ましてや明治以後でもっとも明晰な経済問題の論客の一人だった石橋氏自身が一番知っていなければならないだろう。


神頼みをしにいって、もしかしてかえって宿題を増やしてしまったのかもしれない。ただ、晩年がどうだろうと、経済記者自体の石橋氏の功績は依然として変わることがないだろうとは思うけど。