夢とストーリー(前編)

前にこのカテゴリーで記事書いたの、もう1年以上前なんですか。とんでもないことだ!


ここは「イギリス大学留学」について書く欄だ。なので、それらしく「何も書かなかった時間に私が留学生として何をしていたか」を簡単に説明しよう。
2005年4月、大学院のコースの授業がテストやエッセイ(小論文)提出とともに終了した。ここからはDissertation(でぃさーてーしょん)と呼ばれる修士論文の作成に取り掛かる時期になり、期限は8月25日までだった。字数は1万語。


私の法学修士(LL.M.)コースでは必修授業が三つだった。……そう、イギリスの大学院はMBAなどの例外をのぞき、必修授業が割りと少ない。LL.M.なら同時に進めるものは、多くて四つや五つだろう(理系や他学部については詳しく知らないが)。
「たったそれだけ?楽すぎない?」と思われるかもしれないが、あにはからんや。授業は専門用語・専門概念飛びまくり。さらに大学院なので、生徒の中に弁護士とか法廷事務官とかプロがたまにいる。授業が彼らのツボをヒットすると発言量が加速、内容の濃さが一段と深まる。
RPGを初めていきなりLv30ぐらいのダンジョンに放り出されるようなもので、授業にさっぱりついていけずに泣き出したくもなる。加えて、先生は生徒のモチベーションを上げるために指名して答えさせる。そのために準備する資料は膨大だ。
もちろんエッセイもいろいろ大変だ。読む量もそうだけど(5000語のエッセイで50冊ぐらい引用できると理想的)、着眼点と筋運びがとても大事。単に知識を羅列して終わってしまうと、とても低い点数しか帰ってこない。


このあたりはあとで別項にまとめるかもしれないが、ともあれこういう生活が一段落したのが昨年4月。そりゃのんびりしようというものだ。旅行に行ったりとか。そこから担当教官と論文の骨格を話し合って、ぶらぶらと調査と執筆に取り組む……はずだった。
しかし、この時期私にはプライベートで少々厄介なトラブルがあった。そちらがなかなか解決せず、あと就職活動を少々していたこともあって8月25日の締め切りに間に合うとはとても思えなくなった。締め切り2週間前に担当教官と相談して、Extension(締め切り延長)をもらう。ちょっと事情で疲労困憊していたこともあり、少し余裕を見てもらった期間は3週間。
論文を仕上げて次々と帰国していく友達を送りながら、一人で論文作りに取り掛かり、今度は期限前に何とか終えることが出来た。


そこから10月の少し前に帰国。このときはまだぜんぜん将来のことが決まっていなかった。出身大学の就職課に行って相談を受けたり就職関係の本を買いあさったりはしていたけれど、具体的な出願件数はそれほど多くなかった。1
11月の中旬過ぎ、ある会社が中途採用の募集をネット公示していたので応募。ちょっと大学院の卒業式に出席したりしながら面接を重ね、結局この会社にお世話になることになった。で、今年の1月から社員として働いている。


いま少し自分のやってきた事を振り返ってみると、「ほんと他人にお勧めできないことばかりやってきたなあ」という感じ。論文の出し方も淡々と勉強して書いて担当教官に見せて提出、とかじゃなくてむちゃくちゃだったし、就職についても確たる道が見えていたわけじゃなかった(私は留学の前に会社を辞めているので)。正直、現在仕事をしていられる理由は、亡くなった祖母や親族のお慈悲があったから、それに家族の支援があったからだけなんじゃないかと思えてくる。
ただ、自分のようなやり方でもあえて言えることも、少しはある気がする。現在でも、イギリスへ留学していく若い人はたくさんいるだろう。その中には会社や官庁派遣、交換留学だけじゃなく、自費で会社を辞め、渡っていく社会人の方々も多くおられると思う。次に、そうした方々に向けていくつかの自分の感想を書いてみようと思う。