出会いと職業倫理

最近、二つの出会いがあった。


ひとつは先週日曜日、ある飲み会でお会いした戦場ジャーナリストの方。
イラクや旧ユーゴで取材活動をしていて、
週刊誌等に記事を載せたり、本を書かれたりしている。
いろいろお話を伺っていると、前職は業界紙の記者をされていたという。


彼は業界紙時代、広告の影響が少なかったのを幸いに
企業の内部資料を手に入れたり深い人脈を作って企業合併等を抜きまくり、
某全国紙にもスカウトされたらしい。けれど、フリーの戦場ジャーナリストに転身。
業界紙づとめのころから休日に海外に出て、
取材していたのが引き合いを生んで独立したのだという。


「何で今の仕事をやってるかって、
いろいろ奇麗事も言えるけど、やっぱり『興味』なんだよねえ」
さっぱりと言い切ったその言葉が、私の胸の中でとても力強く響いた。


もうひとつの出会いは、ついさっき。
私が会社で担当している業界のトップ企業の社長に、先ほど懇親会で会ってきた。
売り上げ一兆円企業(だが労働集約型のため、利益は低い)の長、
というだけあって、穏やかな中にも結構な圧迫感がある。


雄弁な上に頭の回転がとても速いため、
歓談とは言いながら彼のペースになかなかついていけない。
何とか社長を囲む人の輪に入り、頭をひねりながら質問をして会話を試みる。
いろいろ教えていただいた後、去り際に「では、またよろしく」と挨拶をしていただいた。


仕事をしていると、こうやって人付き合いができていく。
私は記者であり、ものを書いて世に問うのが仕事だ。
だから、そうやって出会った人の目にも私の書いたものが触れていく。
これはそれなりに圧迫感があることであると同時に、
人が見ているからこそ「しっかり勉強しないと」と思うきっかけでもある。


先ほど書いた戦場ジャーナリストの方に今度会ったら、
私は胸を張って仕事の結果を語れるか?
もしくはさっきの企業トップとまたお会いしたときに、
前回より一段高い(あるいは深い)レベルで会話ができるだけの取材と
記事を書けているだろうか?


いろいろ些細なこともある。
けれど、この問いは誰のためでもない、
とにかくひたすら自分と自分の人生のために、いつでも胸に持っていたいと思う。