祀りのあと・岡崎律子さん

昨日、一昨日は音楽家・シンガーソングライター岡崎律子さんの曲ばかりを聴いて過ごした。岡崎さんは90年代初頭にアルバムデビューし、アニメ番組などに数多くの曲を提供してきたのだが、昨年5月5日午前1時5分(共同電)、敗血症性ショックのため亡くなられた。享年は44。御逝去が公になったのはそれから一週間後で、読売新聞・朝日新聞社会面では音楽界の表舞台に立つことのなかった人としては異例の即日訃報記事が掲載され、さらにその一ヵ月後、読売新聞でより詳細な追悼記事が組まれた。
これから、私なりの岡崎さんの音楽の捉え方を書いてみたい。だが、もちろんそれらはアルバム含め公表された情報のみに基づいた私の主観である。本来、どのような事情で亡くなられたのか正確にわからない方について、素人がわかった風なことを記すべきではないかもしれない。だが、私は私なりに、知らないなりにこの人について書きたい。だから、「事情を知りもしないで勝手なことを」との非難は受けようと思う。
岡崎さんの音楽は、表層と深層の特徴に分かれると思う。表面からみれば、岡崎さんの曲は実に「聴きやすい」。品のあるメロディを歌い上げるその声は、アンバランスな柔和さと繊細さを秘め、あどけない。この声を包むように、中期の傑作「愛してほしくて」や「Lucky & Happy」でも聴ける緻密な多重コーラスが展開して深い心地よさを生む。加えて、代表曲「For フルーツバスケット」のストリングスにみられる、曲の情感を的確につかんだアレンジが聴き手の注意を逸らさせない。つまり、特質ある声をトータルワークが支え、相互のやりとりが楽曲の特色を最大限に表現しているのだ。しかし、声を基点とする揺らぎは編曲を巻き込んで収束し、全体的な華々しさを規定してしまう。佳曲としての安定感はあるものの、不注意に聴き流せば「無難」とすら感じ取れるかもしれない。
しかし、岡崎さんの音楽の深層はこれと異なる。フィジカルな音や歌詞に断片的に現れるその「隠された」特色の例は、最後の公式オリジナルアルバムとなった「For RITZ」(キングレコード)の曲群がとても適切であると思う。このアルバムは昨年12月、岡崎さんの死後に発売され、ほとんどがアニメやゲームに提供された曲を岡崎さんが歌うもので構成されている。だが、収録曲のいくつかは公式なヴォーカル録音ではない。提供先の歌手に曲の旋律や雰囲気を示唆する「仮歌」が含まれているのだ。
読売新聞追悼記事によると、逝去に先立つ1年前、食欲減退などの変調を感じた岡崎さんは病院に赴き、「スキルス性胃がん*1との診断を受けた。即座に入院して闘病生活に入ったものの、その中でも決してキーボードを手放そうとせず、母親から「もうやめたら」と口にされても「今自分の曲を残しておきたい」とベッドの上で作曲活動を続けたのだという。前作「Life Is Lovely」(同社)を発表した2003年2月以降に企画されたはずの「For RITZ*2は、当然体調の悪化する中で取り組まれたはずだ。収録曲の中には、亡くなられた2004年に入ってから録音されたものもあるようで、実際それらの曲では岡崎さんの特徴以上の弱弱しさがあらわになっている。
しかし、岡崎さんは決して手を抜いていない。「仮歌」は正式なものではなく、体調も良くないのだから適当に歌えばよいものを、それらの曲には、岡崎さんの声で確実に魂が灯っている。その一例として、私は収録曲の中から「Fay」をあげたい。この曲では、最初から声は震え気味で、対してこの曲は弾むような元気の良い曲だ。しかし岡崎さんは意欲的に曲に取り組むことをやめようとしない。むしろ、その声に一貫して夢見るような幸福感さえ漂っている。これが仮歌であったなら、提供先の歌手に曲の情感を余すところなく伝えよう、と思ったのかもしれない。また、どのようなものであれ自分が残す音源に全く妥協しなかったのかもしれない。
岡崎さんの音楽の深層には、「激しさ」がある。自分の体がどれだけ壊れても決して音楽をやめようとしない激しさ。あるいは、「あなたのいない人生などもうない」と歌う「仲なおり」のように愛する人を一途に思う激しさ。人に攻撃的にならず、対外的にはためらいながら、よろめきながらも、絶対に自分の信じる道を譲ろうとしない強さ。岡崎さんの声は馬鹿馬鹿しい声量に頼らない分、精神性そのものの強さで曲に魂を込めている。弱弱しく思える声が、どれだけトーンにこだわり、メロディを生き生きとさせているかは、注意深く聴けば簡単にわかるだろう。「出逢いは三月 春」の、絹のような手触りで起伏する高音部。ウィスパーヴォイスを巧みに駆使して幻想的な風景を描写する「Merry Christmas to You」。「セレナーデ」では、静かな静かな出だしから最後に力を込めた盛り上がりまで、岡崎さん独特の細心の注意を払ったヴォーカル技術の粋を聴くことができる。
外部に現れているそのほかの岡崎さんの姿勢では、昨年3月に雑誌のインタビューに応え、冗談を口にして笑顔を見せている。亡くなられたのはその年の5月なのに。亡くなる一週間ほど前には、自身のホームページでファンを気遣うメッセージを書き込んでいる。こうした実情を決して表に出さない姿勢を、ある人は「美学」と呼んだ。けれど、私にはそうした審美的な言葉で表現しうる以上の強さではないだろうかと思う。
多くの岡崎さんの曲は、「好きなことを追いかける人生」について歌っている。それはとても楽しく、時に苦しい。追求するものへの妥協や違う選択を迫られるときもある。けれど、岡崎さん自身には既にためらいはない。遅咲きでデビューして波に乗り、たくさんの曲を提供するようになった頃はもちろん、その最期まで、岡崎さんは歌詞で掲げたこの姿勢の通りに人生を生き切ったのではないか。

私は ねえ強かった? いいえ いつも揺れていたのよ (いつでも微笑みを)

どれだけ迷ったとしても、どれだけ揺れていたとしても。自分の生き方を貫いたなら、それはやっぱり素晴らしい生き方だと思う。違う人の歌詞で「君のその寂しさが誰かの夜を照らすだろう」といったものがあるけれど、岡崎さんの人生は多くのファンにとってそういうものになったのではないかと思う。もちろん、音楽を作り手の人生や事跡で水増しして評価してはいけないかもしれない。しかし、注意深く聴くならば、上に書いたようなサインは岡崎さんの音楽の中にたくさん隠れている。控えめな歌詞、控えめな歌声と音楽の中に、現代のメディアではほとんど見ることがなくなった「言行一致」の美しい生き方があることを、出来れば多くの人に知ってもらいたいと思う。

(参考)
岡崎さんのアルバムなど

*1:ニュースキャスターの故・逸見正孝さんがかかられた病気で、その進行は極めて速いという。

*2:このアルバム名は、当然ご逝去を受けてつけられたもの。Ritzは「律子」から。