デモ行進のあと

中国の反日運動はだいぶおさまったのだろうか。この問題については、私の不勉強もあるものの、断続的な報道だけが耳に入って微妙な空気の変化などがよくわからない。一応、こちらからはかなり沈静化したように見えるのだけれど。
現在、私はフラット*1で中国人二人と共同生活をしている。3週間ぐらい前には、両者とこもごもこの問題について議論をしたりもした。当時の私の感触では、彼らはやはりODAを知らないように思えたし(ただ私は彼らの無知を問い詰めるつもりがなかったのではっきりは確認しなかったけど)、村山談話などの過去の謝罪についても通じているようには見えなかった。彼らは中国富裕層の出身であり、性格もとても外交的なので終始冷静な話し合いになったけれど、それでも彼らを通じて中国国内の当時の空気が非常に熱くなっていることが感じられた。なんでも本国の友人が「日本製品を買うな」といったメールを送ってきたりしたそうな。
私にとって一番興味深かったのは、議論そのものよりしばらくたったあとのそのうちの一人の反応だった。話し合いの2週間後ぐらいだったか、機会があって「こんな話もしたよね」と話をふると、あまりピンとこなかったようなのだ。「?」という感じ。確かに、言葉が各自母国語ではないので会話自体が通じなかったのかも知れないが、とりあえず「日本」とか「歴史」、「議論」という言葉は口にしたので、多少この問題に敏感なら意味は取れたのじゃないかと思う。
中国人といえど、常に日本人をネガティブに見ているわけではない。裏返してもう少しはっきり言うと、日本人は中国人の姿勢に対してひどく敏感になる必要がないのではないか。激しいデモの勢いがいかにも深刻そうなのだが、もしかして1年ほど適当に相手して放置しておくと、相手のほうから「そんなことあったっけ」と言われかねない。確かに私が見た例は数少なく、その内容も確定していないから慎重に考えたいと思っているが、私は、中国人とは場所場所で実に盛大に盛り上がり、次にはあっさり忘れているという民族性があるんじゃないかとちょっと疑っている。元々今回のデモは庶民の鬱屈やら江沢民派と胡錦濤派の政争とか様々な憶測がされているが、それに加えて「熱しやすく冷めやすい」というより「熱したことをあっさり忘れる」民族性があるとするなら、真面目に日本人が取り合うだけ損をするだろう。
私は戦争問題自体は決して軽視しない。むしろ折に触れて、未来永劫日本はアジア諸国に謝罪していくべきだと思っている。当時亡くなった多くの中国人や他国の人々は、日本兵が侵攻さえしなければ死ぬ必要がまるでなかったのだから。解放戦争だったとしたところで(それは結果論だと思うが)、その事実は消えはしない。「善行だったから暴力を働いても謝らない」、という理屈は成り立つだろうか。ただ、そうした謝罪は私たちの自発性に基づいてなすべきで、他国に強制されたり過剰な反発感情にとことん付き合う必要などはないと考えている。
この戦争感情問題については、慎重に接しなきゃいけないのはむしろ台湾などの親日国家に対してじゃないかと思う。私は台湾人とも共同生活しているし、ほかにも幾人か友人がいる。彼らは本当に親日家だ。気性そのものも中国人と違って大変穏やかなのだが、それでも今回、少しだけ話し合って底堅いなにかしらの認識があるように感じた。それは蒋介石以降の国民党教育によるもの、という声があるが、いずれにせよその一派からすれば日本人は侵略者と見えて当然なわけだ。むしろ、二次大戦時に日本は彼らと主に交戦したのだから。
彼らは(もちろんそれなりに利害計算はあるだろうが)とても優しい。誠実な人柄でもある。だから余計に、それに乗じて過去の問題で日本人が横柄になるのは良くないと思っている。

*1:アパートのようなもの。