よみがえる京大サイクロトロン

ちょっと前から話題になっていたようですが、京都大学で戦時中の国内核開発プロジェクトをめぐるドキュメンタリーが上映されるみたいですね。
京大サイクロトロンのドキュメンタリー映画を制作 東大の研究生MSN産経ニュース

戦時中、核物理学の研究のために建造され、終戦直後にGHQ(連合国軍総司令部)が原爆開発への転用を防ぐために破壊した京都大学の「サイクロトロン加速器)」の実像に迫るドキュメンタリー映画を東大の研究生らが制作し26日、京大付属図書館で上映会が開かれる。一部の部品が廃棄を免れ、京大施設に保存されるまでの経緯を探った。封印された科学史の一断面に光を当てた作品といえ、研究生らは「戦後60年以上を経て、改めて戦争と科学を考えてほしい」と話している。

 タイトルは「よみがえる京大サイクロトロン」。科学史を専攻する東大総合文化研究科研究生の中尾麻伊香(まいか)さん(26)らが約1時間の作品にまとめた。
(中略)
終戦当時学生だった京大の竹腰秀邦名誉教授ら関係者にインタビューを重ねたほか、GHQが撮影したフィルムなども使用して映画に仕上げた。

京都大学サイトでのお知らせ
3月26日午後2時から京大図書館で、午後5時からカフェ「進々堂」で上映されるそうです。残念ながら私は仕事があって行けませんが、歴史の影に埋もれたストーリーでもあり、とても貴重な資料を駆使した作品のようです。興味をもたれた方は足を運ばれてはいかがでしょうか。


以前、戦前・戦後にまたがって活躍した科学者・中谷宇吉郎が書いた「科学と社会」(岩波新書)という本を読んだ。
その本によれば、士官学校選り抜きの秀才であり、科学的教育をひとしきり受けているはずの軍幹部たちの科学に対する認識は酷いものだった。
「千年の悦楽 一夜の彷徨」さんのエントリーにそのやり取りが挙げられている。

中谷宇吉郎は『雪の結晶』の研究でも有名な人だ。その彼に軍部より依頼があったという。それは千島列島や北海道の霧を晴らしてくれというものだったそうだ。確かに釧路など濃霧で有名だ。視界を遮るので航空機の滑走のじゃまになる。
 科学者中谷宇吉郎としては、地表から上空に至る霧の濃度を測り、水滴を蒸発させるだけの熱量を試算した。滑走路の霧を消すだけなら重油ドラム缶20本もあればよいということになった。
 ところが軍は『重油をドラム缶20本も使うくらいなら科学者なんかに頼むまでもない。』と言ったそうなのだ。重油はあまりに貴重で、軍でも調達できないものだったのだろう。
 しかし中谷宇吉郎は言う、『なにか呪文のようなものを書いて、それを一度ふればいいというようなことならば、科学者はいらない。それならばどこかの行者に頼めばいいのである。』(から引用)

今手元に本がないので詳細な引用ができないが、確か中谷は、ほかにも当時の国会で軍部が行った日本の科学力に関する答弁がとても酷いものだった、といった述懐をしていたと思う。


当時、軍人たちは一体「どこ」を見て、「何」を目指して戦争していたのだろう?
私は朝日新聞日教組が大好きな、当時の行いをイデオロギッシュに全否定する(自虐的な)史観にくみしない。けれど、やっぱり戦争は負けたらダメだ。そして、負けとわかってる戦争を早期終結させるでもなく、竹やりまで持ち出して続ける正当性は全くない。
中谷と軍部のやり取りにみられる、科学というもおこがましい単純な理屈の積み重ねの拒否。国体護持の精神論を唱えても、最後は天皇を守護することもできず、ガダルカナルやレイテ島で次々と死んでいった日本兵満州に取り残された在留日本人たちの尊厳を踏みにじり、多くの軍高官たちは敗戦に至っても「戦陣訓」すら忘れ自裁しなかった。


当時の状況については、あらゆる行政部署が最終的な責任を他人に譲り合ってた「無責任の体系」という説明のされ方が有名だけれど、なぜああまで軍官僚たちは臣民兵士に対して無慈悲、天皇に対しても無慈悲(戦争にあんな負け方したら天皇の責任も重いものになる、なんて馬鹿でもわかる理屈であって)であることができたのだろう?軍部や官僚は国民や天皇の精神性を搾取する一方で、驚くほどヒューマニティが欠如している。


今回は見ることができないけれど、もしかしたら「よみがえる京大サイクロトロン」の中に少しは何かヒントがあるかもしれない。機会を見つけてぜひ見てみたいものです。