世代ごとの事件データって検証が必要なんでしょうね

養老孟司先生世代の脳は狂っている(少年犯罪データベースドア)
絶望書店さんのリンクから拝見しました。そちらでも「いまさら」って書いてあるので、なおのこと今更感が強いんでしょうけど……。


このエントリーのデータ自体、検証と議論の種になるだろうしなるべきだろうと思うと断った上で「メディアの品質」について意見を述べると、まあメディアなんてものはその世代世代で大衆を煽ることが飯の種なんで、こうした時間軸上の変化なんて頭にからっきしないんでしょうな。目を引く自殺率なり少年犯罪なりがちょっと重なれば、現代日本特有の社会問題であるかのように言いふらす。これは「だから日本のメディアはだめで」、とか言う自虐的視点で片付くものじゃなくて、たぶん洋の東西を問わないでしょうね。それが大衆を相手にしたメディアの本質なんだと思います。


大衆とか口にすると最近の題名も知らない流行歌なんかが頭に浮かぶんですけど、みんな似てるものばっかりですよね。もしくは既定の、昭和歌謡路線とか和み系とかといったマーケティングから「一歩も出てない」中身のない音楽が多い。
マスコミと同じで、もちろんこういう状況は道義的にはクオリティ向上を問われるんでしょう。ただ、詳しい経済的モデルは知らないけど、たぶん大衆を相手にした収益性と時代を引っ張るイノベーション(マスコミなら真理探究でしょうか)を掛け合わせて考えると、まるで自然現象か自由落下のように、今のような状況に落ち込んでいくのでしょう。真性のイノベーションには時間も手間もかかる上に売れるか売れないかはギャンブルです。


お金の係り具合は桁違いだけど、そういう意味では音楽業界やマスコミ業界は、製薬業界に似ているのかもしれないですね。お金と手間、そして発明できるかできないかというギャンブル性。製薬業界は製薬特許の保護に熱心ですが、その意味でも音楽業界が(マスコミはその公共性から難しいけど、再販制度がありますね)著作権保護に躍起になっている理由もなんとなくわかります。
そして、どちらの業界にも公共の利益Public Interestというカウンターが入る。古い話で恐縮ですけど、イギリスの歴史学者A.J.トインビーは「文明の末期とは、模倣(ミメーシス)を繰り返して硬化していくプロセスだ」といってます。法はイノベーションの側に立たないので(知的財産権の建前はイノベーションの保護ですけど、現実問題既存の作品や既存の発明を保護することによる窒息寸前の状況があるわけで)、法を立てて既存の業界の収益性を保護する、ということは上記の理由から、トインビー的に見れば文明の衰退につながる、ということになりますね。
そうでなくても、収益性の確保を音楽や製薬、もしくは再販制度を持つマスコミ業界のように「本来とは違う土俵で」守ろうとすることは、これまた経済的なモデルは知りませんが「本来の土俵」でのイノベーション誘発性をかえって奪うような気がしますね。経済学にも経営学にも疎いんですが、誰か、そういう仮説を立ててる人はいないのかな。その仮設を追及するだけの分には、別に収益性を無視することにはならないので。