マスコミのマスコミ批判

この産経新聞の記事JR西日本福知山線事故の記者会見でのマスコミの横暴振りについて描写している。事故発生当初から、ネットではマスコミの居丈高な姿勢に対する批判がちらほら見られた。事故とその死亡者数、会社の無気力体質といったインパクトをかき消すほどの醜態振りって、一体どういうものなんだろう。
私は以前書いたとおり、ボーリングだの宴会だのは非難されて当然だと思っている。また、そうしたトータルでの企業イメージの管理(すなわち社員教育)に失敗し、職員などに暴行などの被害が出ていることも、事件としては決して許されないがさほどとっぴな出来事ではないと思う。
前にも書いたとおり、社外の利用客には部署が違うだの非番だっただの、そんなマイナーな言い訳など通用するはずもないのだ。モラルの有る無しだけが、今回の宴会ボーリング問題の肝なのではない。JRは、社員にもう少し社会の中にある会社という意識を持たせる必要があった。もしくは、社員は持っている必要があった。公共的サービス業の意識が欠落し、社会的イメージを大切にしなかった企業に、利用客からしかるべき反発があるだろうことは(繰り返すが決して暴行は許されないが)かなり簡単に予測できる。
私にとっては、死亡者100人以上の事故のインパクトを吹き飛ばすようなマスコミの横暴っぷりがいまいちイメージし辛い。だが、マスコミには老いも若きも左翼系の人が多いときく。だから、ひとたびこういうわかりやすい企業不祥事があると、そういう人が心理傾向として持つ「偉い人を吊るし上げ」(大学とかの学生集会で教務主任が食らってそうな奴)が現れてきた可能性はないのかな、とも思う。