天皇

菅直人氏が「終戦天皇は退位するべきだった」と発言して問題となっているそうで。
私は、今この問題について何か付加価値ある情報を提供できない。けど、ノンポリとしか言いようのない人生を送ってきた庶民の意見としては、ごく普通に子供の頃からこの発言と同じことを思ってきた。この考えを問題視する人々が、欧風帝政国家的枠組み*1で国を憂える方々(今「右翼」と呼ばれている人々)以外いること自体、ちょっと意外。
確かに「宮中府中の別」は存在したんだろうが、開戦にせよ終戦にせよその「聖断」が最後にして不可欠のプロセスであったことは間違いない。ただ、歴史的事実をよく知らないからなんともいえないけど、身の振り方についてはGHQが最終的に判断したことで、昭和天皇の自主性の問題じゃなかったろうな、とは思う。確かに国体護持のために必死に工作したり陳情した日本人はいたろうが、その運動自体をアメリカが意に介するとは思われない。そこに大きな天皇の影響力を見て、彼らなりの打算で決定することはあったろうけど。
それにしても、当時天皇が退位したら泡を食ったであろう人間って、グループが限定されてる気がするんだよね。一部の純情な(平泉澄みたいな)尊皇主義者は別として、本来日本史では承久の乱でも建武前後の騒乱でも、敗戦した天皇はきっちり責任を取って配流されたりしている。今回は対外的なナショナリズムがかぶってるのかもしれないが、戦争に負けた国の元首が責任を負うのはさすがに当たり前だろう。この自然な流れにすら承服できないのは、天皇の近代専制君主的権威を利用して散々「生きて虜囚の辱めを受けず」と吹聴したり、「国家総動員」とか「治安維持法」を国民に強いてきたグループだけじゃないのかなあ。たとえば、天皇陛下に忠誠を誓ってたはずなのに、生きて虜囚の辱めを受けないはずだったのに、多くの軍部エリートは玉体を守り参らせられなかった責めで自害もしなかったんだよね。そういう人たちは、思想的に本当に天皇に殉ずる覚悟があったのか、それとも単にその権威を自分らの権勢のために利用したのか、どっちだったんだろう。
現代にあっても、勲章とか親授とか天皇の親任とかが大好きな人たちは多いみたいだ。こういう人たちは天皇が近代帝政国家的な権威であってくれなくては困るわけで、それにのっかって国家のイニシアティブをとりたい(つまり、本来の国粋主義とは何の関係もない、本人の利益の都合)と。そういう価値観からすれば、「天皇は退位すべき」は耐え難い暴論かもしれない。私は、この心理構造は最近「タカ派」とか「右翼」とか「歴史修正主義者」といわれる人たちの専売特許だと思ってたんだけど、もしかしてもっと根が深いのかな。

*1:帝国主義ではないので、念のため