日本語の練習が必要です

前日に書いた岡崎律子さんの感想文を手直し。
なんていうか……、まああの文章、ガウディの建築のように(比較できる分際か)ゆっくりゆっくり時間をかけて整形していこう。


昨年5月にはもうこちらにいたんだけど、初めて共同のネットニュースで訃報を知ったときは、冗談抜きでショックだった。こちらと日本は距離がある。色々なことが知りたくてとてももどかしかったけれど、ごくたまにネットの片隅で雑誌やそのほかメディアの情報をアップしてくれる人がいて、そういう人々の善意にすがる形で情報を摂取し続けた。
当時は同じ大学の聴講生プログラムに参加していて、試験期間中だった。けど、言葉に出来ないほどきつかった。私は岡崎さんのコンサートに行ったこともなければ、提供された番組や他歌手のアルバムもあまり触れたことがない。3年ほど前からCDを集め始めたものの、当時住んでいた田舎ではなかなかCDをそろえることが出来ず、不完全なままだった。なのになんでだろう、と悲しみながら繰り返し考えていた。
今思うのは、この人の持つあまりの純粋さが、私の日ごろ隠している、一番弱くてプライベートな心の部分に触れたんじゃないか、ということだ。それは、突然引き離されるにはあまりに辛く、上手に言葉にも出来なかった。だから、このダイアリーも昨年6月から始めたんだけど(それでずっと止まってたんだけど)、岡崎さんについては書いていない。
当時、掲示板にそれこそ怒涛のような勢いで書き込まれていくたくさんのレスを読んでいて、今でも覚えているのは

まるで家族が亡くなったみたいだ

というレスだ。この人は、私と同じようなことを感じたのかもしれない。私もそれなりに音楽は好きなんだけれど、こんな風に悼むミュージシャンがそれほどいるだろうか、と思うとちょっとわからない。
ロンドンの雰囲気がお好きだったと聞く。街を歩いていて、もしこちらにおいでになったらきっととても気に入られたんじゃないかな、と時々思う。

(追記)
今「いつでも微笑みを」を聴いていたのだけど、「私は、ねえ強かった?」と歌う岡崎さんの声のトーンが少し強い。何か、叩きつけるようなニュアンス。きちんと調べないといけないけど、たぶん「ラブひな」以降、岡崎さんの歌い方はレベルが上がっていて、声の抑揚一つに以前より多くの意味があるように思われる(昔の曲を後期の岡崎さんが再録したらかなり違った歌い方になるかもしれない)。一体岡崎さんは、この部分にどういう思いを込められたんだろう。
それにしても、このアレンジの人は凄い仕事をしている。それと、ミキシング作業をやった人も良くがんばったと思う。素材として声単体でこれを聴いたら、おそらくかなり辛い。