JR西日本のアパシー(無気力状態)

マスコミのJR西日本バッシングを巡って、いくつかのブログで論争みたいなものがあったようだ。それなりにお話の積み重ねがあるみたいだし(それにいちいち首を突っ込むほど潤沢な集中力の持ち合わせはない)、あえてトラックバックするほど私に見識があるわけじゃないんで、とりあえずこちらにはリンクだけ。
JR事故の責任は日本国民にあるような気がしてきたぞのコメント欄を参照。興味のある方は霞ヶ関官僚日記さんの該当するエントリーもご覧ください。


さて、ブログ主・R30さん自身はJR事故が経営者の責任じゃないならいったい誰の責任だというのかというご意見のもち主で、JR西日本の体質を真っ先に問題にしている。ただ今回は、おそらく現在新聞やテレビが繰り広げる枝葉末節のJR叩きが不毛だ、と言いたいのだろう。
それは一理あると思う。事故再発を防ぐことが目的であって、こんな風に何でも揚げ足を取って社員を叩いたところで、現場の社員を精神的に追い込むだけだと。それに、事故当日に帰社したところで足手まといになる、と言うのも当然だし、全社で一部署のケアをするのは非合理だ、というのもわかる。
でもこの事故、100人亡くなってるんですけど。この事故が常識的な範囲内の被害人数であれば、上のようにも言えるだろう。けど、これがたとえば阪神大震災時、隣接する県の管区の人間が「現場に帰っても仕方ないし」と酒を飲んでボーリングしてられますか、というお話だ。確かに非番の人間が現場に急行する必要はない。しかし、だからといって宴会を続ける理由もない。ただ散会して自宅に戻り、待機していればよかったのだ。
このブログ主さんの見解は、つまるところ事故再発防止のための最短で最適な方策さえ講じればよいのであって(経営者・労使幹部の責任を問う)、広範な社員意識など負担にしかならないという、という意見だと思う。しかし、事故後に宴会をしたりボーリングをやめなかったり、「そういう社員の会社だからこそ」、2年前に救急隊員を撥ね殺しても信楽で40人以上を殺しても、この会社は改まらなかったんじゃないのか。言い換えれば、自浄作用が働かなかったんじゃないのか。
あの会社の誰しもが至近の上下関係や労組関係に縛られ、それを飛び越えた社会人としての常識的な判断や常識的な行動を選択できなかった。無論このアパシーは事故時に湧いて出たものじゃなく、過酷なダイヤを組んだり日勤教育で自殺者が出たときに誰も意見を差し挟まなかった、という辺りで、すでに深く社内に根を下ろしていた。
常識論ばかり書いても退屈なので結論に移ると、おそらく、JRは外部から経営陣迎えるしか本当の改革を果たせないだろうと思う。会長・社長を頂点とするJR西日本内での権力の流れが社員の一般的社会人としての常識感覚を妨げているなら、その権力の流れを「無効化」するのが一番早い。JR西日本内で上司に従い、労使の絡みの中でいじめと村八分をうけぬよう唯々諾々と非人間的な業務にいそしむのが今の処世術であるなら、それを「上手な処世の方策ではなくして」しまうしかない。そうした処世をしたところで、決して社長にも役員にもなれないようにするしかない。
ただ問題はJRは私企業なので、会社が傾いて税金でも投入されない限り、外部からの人事の強制なんて出来るわけがないってことだ。