JR西日本て(2)

上のエントリーで「もっと包括的な報告書を出したら」というようなことを書いていたら、アメリカではそんなことをやっているらしい。この毎日新聞の記事の下の方に「事業者の安全文化にも踏み込んだ」調査をする、とある。そりゃそうだろうな。事故をまた起こせば人命がなくなるのはもちろん、莫大なコストと社会的混乱、ひいては国の監督責任が問われる。日本みたいに問題をうやむやにしたがるのは、実はとても無駄ばかりなんだよね。問題は一回きりで済ませてしまえば良いのに。
まだ印象でしかないけど、この「報告書文化」がアングロ・サクソン系の国と日本では非常に大きな違いになっている気がする。アングロ・サクソン系の国では「できるかぎりの」真実を追究しようとする。そして、上がってきた報告書に対して承認を与えたなら、組織を挙げてその勧告を実行する、というシンプルな行動様式なのではないか。対して、日本は問題の視野そのものを先に絞り込み、極力問題解明の労力を減らそうとする。上がってきた勧告も形骸化することが多い。