新聞の素晴らしさ?

有名な団藤さんのブログで、新聞への誤解、実は変えるべき体質という記事。ここではネットと新聞の比較について触れていて、ネットでは新聞の優れたコンテンツ・特ダネだけではなく、経済面などで載る「価値あるベタ記事」も流れないという点も指摘している。この考えは、割合正しいのではと私は思う。
ブログ、もっと広くいえばネットでの市民ジャーナリズムの可能性について、昨今盛んに議論されているらしい。けれどネットでは、少なくとも新聞では掲載される退屈で発表ものばかりの、けど見る人が見ればとても価値のある上のような「ベタ記事」的存在がオミットされるおそれがある。それに、官僚や政治家といった人間達へのコネクションを市民ジャーナリズムがどうつけるのか、全く展望が見えない。ブログを継続していくことで高レベルの取材源からも信頼を得ることは可能だと思うけど、そればかりを無給でやり続けることが出来る人などいないわけで。だから、ネットジャーナリズムというのはよくあるはやりの概念で、かなり割り引いて考えたほうがいいだろうな、と思っている。
ただ、こうした議論でも同じなんだけど、時々ネットで拝見する業界内の方々のマスコミ批判がとても空々しく感じることがある。口に出すだけなら誰でも出来るわけで、それではかえって実際の改革が進まない既成マスコミ界のアリバイ作りにしか思えない。もしくは、夜郎事大。さらに、ご自身たちは結局「横並び体質」や「特落ちをおそれる体質」が蔓延する会社の中で上手に泳ぎきってこられたわけで、そうした自分のポジション自体をどう思われるのか。また、どれだけご自身の発言によって会社の中で孤立し、多数を占める旧守的勢力と対立する覚悟があるのか、そういったところが見えてこない「業界内批判」は、しない方がまだいいのではないか。それなら、今の体制の中で黙って、出来る範囲の努力をしてジャーナリズムに徹しておられる方のほうがずっと偉いと思う。